−大学、大学院でもまわりは同じような環境で、子どものころから障害者と接して育ってきたような人が多かったんですか?
いやいや、ぜんぜんそんなことはなくて、とくに大学院とか臨床心理の研究室は、障害者っていうよりはむしろ病気への治療とか、そういうところに重点を大きくもっていて、障害者というところに興味をもっていてやっている人はいなかった。ごくわずかでした。
−そういった意味で、先ほどの、まわりの人とあまり話があわなかったというのがあったんですね?
そうそう、そうなんです。そのとおりなんです。それで、だから、自分から外に情報を収集しに行くしかなくって。子どもの療育の仕事をしてたっていいましたよね?療育の仕事をしていて、障害児の塾みたいなものなんだけど、学校が終わったあとに通ってきて、ちょっと個別の指導をして、とかという場で仕事をしているなかで、個性として個別にその人の特性をみていくっていう技術を身につけたら、その人間がもっと生きていく、なんだろうなもっともっと発揮されることってないのかなぁって。子どもの能力を伸ばすためにとか。知的障害とかあって、いろいろ、学校のお勉強についていけないけど、それをなんとかついていけるようにしたりとか、足し算引き算ができるようになるとか、そういう個別の能力の引きのばし方を、もっと彼らが社会に出て行くのに、ゆくゆくね、彼らがおっきくなってからの生活のなかにも生かせないのかなぁとかって考えているときにジョブコーチのお話をきいちゃったもんだから、「もう、これだ」って思っちゃったんですよ(笑)。「あぁ、これだ。この仕事だ」って思ってしまって、すごい衝撃的な「これ」っていう結びつきを自分のなかでつくっちゃってからは、あとはひたすらその話に近い人たちに、「ジョブコーチになりたいんですけど、どうしたらいいでしょうね」って(笑)、ききまくって。で、それでけっこうはじめは、「そうね、ふーん」くらいで軽くあしらわれてたんだけれども、長くいいつづけていたもんだから、次第に「ジョブコーチになりたいっていうめずらしい人がいるらしい」ってまわりが気づいてくれたらしくって。それでも大学院を卒業するときには、「なりたいなりたい」っていってたけど、どうやってなれるかぜんぜんわからなかったもんで、ひとまず自分のできる仕事をやって、それで、できる仕事をやれるなかで、いいお話があったりすればという感じで、きょねん1年間は病院の心理の仕事をしていたんです。
−それは障害者とは関係がなくですか?
いや、関係が実はあって、最初は都立病院の精神科のデイケアに週3日の非常勤で入っていて、それが2月から就いていて、2月からなんで修論だしてすぐですよね、それは子どもの療育の仕事とか研修をしていたなかで都立梅が丘病院っていう子どもの精神科の専門病院があるんだけれども、そこで研修をしていたときの心理の人からお話をいただいて、新しくできる豊島病院という「ナースのお仕事」っていうドラマの撮影現場になっていたらしいんですけど、そこで「精神科のデイケアをたちあげて、非常勤募集するけれども、どう?」っていうお話をたまたまいただいたので、もうちょっと子どもの世界でなく大人の世界でいかせるようにステップアップをしたいという思いもあったので。でも、3月の終わりに、もうひとつ新たにお仕事の話をいただいて、神奈川県が委託して事業団がやっている大きなリハビリテーションセンターがあるんだけど、そこの心理科にやっぱり週3日の非常勤っていうお仕事をいただきました。そこはあらゆる障害のある人が、身障から知的から、病院と知的障害者の施設と身体障害者の更生施設をもっているセンターなので、そこの方が就労支援の仕事も伝統的なこともあって、より近づけるかもしれないと思ってね。こんな感じでいろいろ動きがあったので、あのときはいちばん人生できつかったです(笑)。
−想像が・・・(笑)。
もうすごいあっちこっち出歩いてました。で、「3月のあたまに富山でセミナーやるよ」って明星大学の先生にサラッといわれて、ジョブコーチになりたいあまりに、富山までいっちゃったんですよ。それで、「そこまでやる気があるなら」って紹介されたのがAROMAだったんです。AROMAは、知的障害者の通所訓練施設なんですけれども、いちはやくジョブコーチに近いことをやっていたんですね。で、そこで、清掃の仕事をとりいれていて、日々のメニューのなかに何曜日と何曜日だけは清掃の日ということにして、団地の集会所の清掃を公団から委託されてやっていたのね。いろいろなジョブコーチの就労支援の段階があるんだけれど、企業のなかに働くんじゃなくて、ジョブコーチがついて外に出て、外で仕事をしてまた施設に戻ってくるっていうやり方があるんだけれども、それをやっていたところなの。たまたま私がいろいろジョブコーチアタックをかけたなかで、その明星大学の先生なんだけれどね、その人に「週1回ぐらいいってみたらどうだ」って、その富山でいわれて、「それはもうぜひ」っていって、週1回4月からそこに入っていました。だから、けっきょくリハビリテーションセンターの心理科に週3日働いて、AROMAで週1日と、豊島病院のデイケアで週1日。っていう(笑)、すごい1年間を送っていたんですよ、去年は。ただ、そんなことをやっていたら、11月あたりだと思う、いま私の所属している社会福祉法人の人に、いろんな活動のなかでお会いする機会があって声をかけられて、「うちで週2日くらいの仕事があるんだけれども、ジョブコーチの仕事だけれども、やりたいか?」っていわれて、豊島病院のデイケアの仕事を、最終的には昨年の12月に削らせてもらって、週1日、昨年の12月からは、いま働いている社会福祉法人でジョブコーチの仕事をしていました。で、結局、私はあの生活は2年間くらいつづけるつもりだったんだけれども、強いお話をいただいて、すごい悩んだけれども、4月からはそこで週5日働くことになりました。すっごい悩んだけれどね。ホントは、もうちょっと心理の仕事もつづけたかったし、ちょっと自分に、中途半端だった技術もほしかったんだけれども。