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ここ数年の重要なライフ・ワークのひとつだった、9月最初の平日の休みには海へ行くということが、ことしは雨だったのでできなかった。かわりにオノ・ヨーコの「グレープフルーツ・ジュース」(1970,1998)を読んだ。いちどはじめから読んで、次に反対から読んでみた。エアコンやハードディスクの音が聞こえないように、できるだけ部屋を静かにして。だけど風の通り道だけあけて。[9月6日(金)]
披露宴のしょっぱなに「She」(Elvis Costello,1999)が流れたときには「やられた」と思った。もしいつか自分が結婚なんてすることがあるとしたら、同じように式に使いたいと思っていたから。本当なら、同い年のいとこが結婚するってことじたいに「先を越された」と思わなければいけないんだろうけど、とてもそんなことは想像もできないわけで。だけどこうして幸せな結末を目のあたりにするたびに、その瞬間とその後数日つづくその余韻の時間は、たぶん自分も結婚したいのだろうなと少しだけ思ったりもする。たぶん、単純にハッピーエンドを欲してるんだと思う。[9月8日(日)] 前回の30秒ヴァージョンで一部の出演者から好評を得ていたテクストの挿入は、今回は控えた。結婚式をあらわすのに、コトバはいらない。そう思った。「studio grasses」にて、[grasses#004 - 30SecShortShortEdition](WMV/320*240/1.27MB)公開。これから増えていくであろう友人や家族や親戚の結婚式を収めたものを、[The Ballad of...]シリーズと命名。 ![]() 先々月購入したデジタル・ビデオカメラのCMが、いまごろになって放送されるようになった。ケリー・チャン主演で。消費文化とかドッグ・イヤーとかそんなコトバではもうあらわせないくらいのサイクルで動いている世界にあって、とても新製品なんて呼べるものではないのに。[9月15日(祝・日)] 週末に、鎌倉との境に近い横浜にある、クロスハートへいった。そこでは、おばあちゃんが暮らしている。住宅地のなかの、まだわりと自然も残る高台に建っている老人ホームだ。老人ホームとはいえとてもキレイで、それどころかそこは別世界といえるような環境だった。そこで働くひとは誰もが誰にでも最上級の笑顔で接してくれる。こんな場所があるとは、正直カルチャー・ショックだった。 ![]() クロスハートでのひとときは、ポール・オースターの作品に「最後の物たちの国で」(1987)というディストピア小説があるが、そこにでてくるウォーバン・ハウスという救済所を思い出させた。こんやのトップ・ニュースともダブって。主人公は、新聞社の特派員としてある国へ行ったきり行方のわからなくなっている兄を捜しに旅立った。けっきょく兄は見つからず、自分もその、ひともものもなにもかもが消えていく国から脱出することが困難になる。そんな国から届く書簡体形式で物語は進んでいく。ウォーバン・ハウスはそんな国にあって、主人公がたどり着いた安息の地。しかしその安息もそう長くはつづかないのだが。ぼくはどこのまちにもどこの国にもそんな安息の地があると信じているし、そうあってほしいと思っている。きっとどこにだってなにものにも屈しない強いこころをもったひとはいるはず。[9月17日(火)] PCでノンリニア編集済みだった[grasses#003]および[grasses#004]をテープ・メディアへ書き出し。[#004]はとくに配布数が1つや2つではないのですべては終わらなかった。[9月23日(祝・月)] 桑田佳祐8年ぶりのアルバム発売日は妹たちのバースデイと重なった。小沢健二6年ぶりのアルバム発売日はぼくの誕生日だった。さいきんの自分を取りまく環境の変化のスパンは確実に短くなってきていた。自分が本当はひどく飽きっぽい性格だということもいいかげん認めなければならなくなってきていた。だけど、8年とか6年とか、それくらいのライフ・サイクルで振り返ってみると、けっきょくまた同じところに戻ってきている自分がいる。今月で「KURIHAMA STYLE」は7年目に突入した。ネット以後のぼくにとってのライフ・サイクルが一巡したことになるのかもしれない。良くも悪くもハイパー・リンクなタームだった。簡単に接続できるし簡単に切断できる。そんななかでぼくが学んだことといえば、宝物はそんなにたくさんは転がっていないということ。だけど、必ずどこかには本当に大切なものがあって、それはこころから望めば手に入れることができるし、ためらいのこころでは手に入れることができないということ。[9月28日(土)] |